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 教育管理職として

校長職を目指して

私は美術教師として、東京都町田市の公立中学校に新規採用され、以後青梅市・瑞穂市・あきる野市の学校を六校経験し、六十才で定年退職する最後の七年間を教育管理職として副校長(教頭)を務めました。

校長は学校の子供達の生命を守る最終責任者としてその責任は重く、一人校長室で最終決断を下すわけですから、日々のストレスは非常に重く孤独との戦いも言えます。

その校長に、何故自分が就こうとしたのか・・・ ?

それは教師を続ける中、教務主任の経験を通して、より高い立場で理想の学校をつくりたいという気持ちが芽生えたのと、「世界平和の祈り」を祈る私こそ校長にならなければという自負もあったのだと思います。

ただし、管理職試験を受けるようになったきっかけは、当時の学校長から受験するように声をかけていただいたことが大きかったように感じています。その校長は美術教員上がりで、とても懇意にしていた方であり、声をかけていただいて断ることも失礼で三年間限定で試験を受けることを約束してしまったというのが実情です。

ところが、試験を受ける気持ちはあっても、日々の学校の仕事は忙しく特別に勉強する時間はもてず、唯一、受験の一週間前、夏季休業日を利用して年休をとり自宅で集中して論文を書くことぐらいしかできませんでした。案の定、そのくらいの勉強で試験に受かるほど甘い世界ではなく三回とも不合格でした。

そして、自分には管理職に就く天命はないのだと四回目は受けることは止めました。

しかし、五年目、新しい校長が赴任し、その校長からも私に試験を受けるよう強く勧められ、これが運命の出会いとなりました。この校長は非常に文章力にタケ、後に全国公立中学校音楽校長会の会長を務めた方です。この校長に徹底して文章指導を受け、少しずつですが文章が書けるようになりました。その甲斐もあり、その年は面接で不合格になりましたが筆記試験には初めて合格しました。もちもん、特別な勉強はしていなのですが、何年も受けていると作文もそらんじており、二年目は合格できました。

今私が一冊の本を書けるようにまでなったのは、最初から文書が書けたのではなく、この時に文章指導を受けたことが財産になっています。人生は何一つ無駄なことはありません。すべて守護霊様のご計画の下、必要な体験を必要な時にさせていただいているのだと実感します。

まあ、そんなことで、受かるまで随分時間がかかってしまい、その後二年間の研修期間を経て、実際に私が副校長として現場に立ったのは五十才を過ぎていました。

また、校長試験は三年の副校長の経験を経て五十八才までしか受けることができず、私は年齢で二年校長試験を受けることができましたが、二回とも筆記は合格するのですが面接で不合格でした。その理由は私が何事も本音で正直に答えてしまい、つい余計なことを言ってしまうのが原因にありますが、実際は、守護霊様の方で、ストップをかけられたということが本当だと思います。何故ストップをかけられたかについては次に述べます

管理職を通して、学ぶことは学んだ

管理職は現場のトップとして権限が与えられ自由に学校をつくることができると思い、私はこの職に就いたわけですが、実際になってみると校長・ 副校長とは名ばかりで、その上(行政のトップ、教育委員会)から言われるままに動く公務員の「一コマ」にすぎず、自由に動ける裁量はほとんどありませんでした。

今の公教育は、政府の意向を受けそれを実現すべく動いており、もちろんその中には良い施策もありますが、ほとんどは外見を繕うだけの現場に負担をかけるものになっています。

例えば、次期学習指導要領では、心の教育を推進するために、道徳を教科に格上げし教科書で勉強することが決まっています。これだけ聞くと良いように聞こえますが、実はそれに加えて、道徳も教科として「 評価」を付けるようになっています。果たして善悪を問う心の問題を評価することがいかなるものか、常識的に考えてもちょっとおかしいんじゃないと思うのが普通です。道徳は大切だ、と政府が道徳を推進する裏には、子供の心を小さい内から狭い価値観で縛り、国民を思う通りしようとする意図があるように私は感じています。

管理職は、これらの命を受けて、否が応でも学校現場に降ろさなければいけないわけですから、心ある人は意に沿わないことをやらなければいけなくなり、相当なストレスです。

ですから、今の教育管理職は、何も考えないで上から言われるままに動ける人がイイ管理職になり、私みたいな反骨精神のある人は管理職には向きません。また、保護者や地域からの苦情、教職員との関係など、そのストレスは相当なもので体を壊してしまう人が多いのが現実です。

私は副校長を七年間やったわけですが、その間、朝は七時から夜は八時・ 九時はザラで、加えて土日は地域の行事への参加が多くあり土曜日はほとんど出勤していました。仕事内容も量も許容範囲を超えており、スーパーマンを自負していた私も相当心身ともに疲弊してしました。おかげで?髪の毛は白いものがかなり増えました。

年間多くの管理職が病に倒れている現状は、管理職は「使い捨て」になっているといっていいでしょう。私も世界平和の祈りを祈っていなかったら、そうなっていたことでしょう。校長試験に受からなかったのは、学ぶことは学び、もうこれ以上管理職をやる必要はないとの守護霊様のご判断の結果だと思っています。

私は副校長として大変な思いをして職を全うしたわけですが、その間、皆が働きやすいように下座につき、陰で奉仕する心を身をもって学んだことは私にとって大きな財産であり感謝の心はあっても悔いはありません。

このような経験をさせていただいた守護霊様には、改めて心より感謝申し上げます。

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