無為の生き方
世界人類が平和でありますように

5章 自然法爾・全託・無為
                ―すべてを神に委ねます―

 とらわれを放つ(よいことにもとらわれない)

善人誇り

五井先生のご著書に、「生きている念仏」があります。五井先生の過去世の一つが親鸞であったと聞いていますので、このご本の中で親鸞の生きざまや念仏について語られるところは非常に説得力があります。自分がやったことを自分がお書きになるわけですから、当然と言えば当然でしょう。

「善人なおもて往生とぐ、いはんや悪人をや」

歎異抄の有名なくだりについて、そのご著書で説明していただいています。普通では、善人が往生し、悪人は往生しないということでしょうが、親鸞はその逆を説いていることになります。これは俗に言うところの「善人誇り」のことを示しています。

人間は、肉体を持って生まれた以上、五十歩百歩で、皆、例外なく悪を犯したことのない人はいません。道を歩けば虫を踏んで殺しているかもしれないし、肉や魚を平気で食しています。それは感謝がなければ、すべては悪だと五井先生は断じていらっしゃいます。また、身近な人ほどかわいいし、好き嫌いもあります。災害が起こっても自分が被害に遭わなければ、同情はしても自分と同じように痛みを感じることはありません。本来なら、誰彼の区別なく一つであるはずです。

親鸞さんがおっしゃる、人間は皆、「罪悪深重の凡夫」である所以です。

善も悪も消えてゆく姿

「自分は善人で悪いことをしたことがない」、という人がもしいれば、よくよく自分を振り返ってみるべきです。宇宙は永遠の進化をとげているわけですから、自分が行った小さな善行為にとらわれていれば、そこで進歩は止まり神から遠ざかってゆくだけです。五井先生は、清水の次郎長を例にとり、大悪人は悪いことをしても、とらわれが少ないので改心するのも早く、聖者にもなり得るとおっしゃっていました。

あえて大悪人を推奨するわけではありませんが、小っちゃな善人で固ってしまうより、どうせ皆肉体をもっている以上、五十歩百歩で凡夫であることは同じですから、善悪にとらわれないで、大きな仕事をした方がイイと強く感じます。皆様はいかがでしょうか?

「悪も善へもとらわれるな」

これは、非常に深い言葉だと思います。すべは神のみ心を現す過程であり、善も悪も物事のとらえ方の方向性であり、いずれも消えてゆく姿で、あるのは永遠の進化のみです。

いっさいみな空

「いっさいみな空」

私が好きな言葉で、迷った時にはこの言葉を唱えます。

人間は、暇があれば、ごちょごちょ、ごちょごちょ、何かを想っています。本当にどうにもならない未来のことを心配し取り越し苦労して、それをあたかも楽しんでいるかの如くです。実に「クダラナイ」ことで、神のエネルギーの浪費以外の何物でもありません。

人間はそのクダラナさを自覚し、余計なことは想わないこと、頭の中を空っぽにして、いつも青空のような心境でいられるようにすることです。仏教で言うところの「空」とは、まさにこのことを言っているのでしょう。

「いっさいみな空」、五井先生流に言えば「すべてを消えてゆく姿」と観ることです。あの人が良いも悪いも、体が痛んで苦しいことも、愛する人から裏切られたことも、すべては肉体にまつわる因縁の消えてゆく姿、誰が悪いのではなく、縁に触れて消えてゆくだけです。それらは大海にさまよう泡沫の如きもの、本当の姿ではありません。真実は、神のみ、一なる生命のみ!

「いっさいみな空」です。

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