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世界人類が平和でありますように
 章 生い立ち
 
   ― 山と川を友として ―

  美術教師として

蛙の子は蛙

人間は何をやっても自由なわけですが、人にはそれぞれ天命があり、例えば総理大臣になる天命がない人が総理大臣になろうとしてもなれません。その前に、なろうという思いすら湧いてこないでしょう。

私は当初、漠然と画家になろうという思いはありましたが、強い意志ではなく絵が好きで美大に進んだわけです。結論から言うと私には画家になる天命はなかったいうことです。私の父は数学の教師でその姿を見て育ったわけですが、自分が教師になろうと思ったことは美大を卒業するまで一度もありませんでした。気がついたら美術教師をやっていたというのが真実です。「蛙の子は蛙」とはよく言ったものです。

美大卒業後は、フランスに留学し画家の道を進みたい気持ちをもっていましたが、その年父は大病し、そんなことを言える雰囲気はなく、否が応でも経済的に自立することを決意しました。美術教師をしながら絵を描き画家にもなれる、と考えました。

そして試験までの半年間、アパートに籠り、教員採用試験の「過去問」を徹底して丸暗記しました。試験当日、問題でわからなかったのはイギリスの義務教育制度に関することだけで他はほぼパーフェクトでした。そんなわけで、たまたま丸暗記した内容が出題され、運よく一発で合格することができました。

美術教師になって

美大でお世話になった教授は、私が高校時代尊敬していた独立美術協会の重鎮で華道相阿弥流19代家元でもあられた横地康国先生で、教員採用試験に受かったことを報告し、身内が近辺にいないので身元保証人になっていただけないかお願いすると、快く引き受けていたいただき励ましてもいただきました。

「教師なったら、空き時間は準備室で絵を描くんだぞ!」
 ・・・・・その言葉が今でも蘇ってきます。

しかし、実際に学校の現場に立ってみると、美術の教科指導に加えて学校行事や分掌の仕事、更には部活指導、そして生徒の問題行動の対応等、多忙を極めました。その当時、現場は対教師暴力が吹き荒れ、かなり乱れた状況にありました。

そんなこともあり、「空き時間に絵を描く」などあり得ないことでした。

絵を描くことはどこへやら

元来、何でも一つのことにのめり込んでしまう私は、気がつけば、絵を描くことはどこへやら、完全に「教師の道」を歩み始めていました。

部活動では、中高と器械体操をやっていましたので、初任校で器械体操部を創設し、指導は素人ながら都大会三位までの実績を残しました。また、その当時、コンピュータグラフィクスにはまり、それを美術教育に取り入れ、その内容を報告したところ「東京新聞教育賞」をいただくことができ、副賞の二十万円は新しいコンピュータにバケテてしまいました。

そんなことをやっている内に、いつの間にか年を重ね、年相応に研究主任や学年主任、教務主任までこなすようになっていました。中でも教務主任は学校の屋台骨で、さすがに私は校長に楯突くことはしませんでしたが、うまくあしらい、自分が思うように学校を動かしていました。その意味で教員生活を振り返ると教務主任の仕事が一番面白かったように思います。

人間は本当に不思議な存在です。私の如く教育に全くの素人の者でも、一生懸命やっていると協力者が現れ自分も勉強しながら力はついてくるものです。何事も「やればできる」とは真実です。まさに私は肌違いの教育において、それを実証しました。

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