無為の生き方 U
世界人類が平和でありますように
 章 生い立ち
 
   ― 山と川を友として ―

 山と川を友として

 幻の雲海 


  「黎明を告げる」 F8号 天空画作
 和紙にアクリル絵の具 高谷山展望台より
 

 広島県三次市と言えば「霧の里」として有名です。馬洗川・江の川が卍のように交差し湿気が多いところに盆地で、夏に
なると天気が良い日は朝から午前八時過ぎ頃まで深い霧におわれます。三次市、高谷山(630m)の山頂に展望台があり、そこから見る朝一番の「霧の海」は、この世とは思えない幽玄の世界が広がります。本当に霧が海に山々が無数の島に見え、そこに朝日が差し込む様は到底口では伝えることができません。子供心に、大自然が織りなす神秘に感動したことを思い出します。その当時、小学校の遠足は今のようにバスでどこかへ行くというのではなく、近くの山に登って帰って来るというとても単純なものでした。その時見た「雲海」も格別で、今でもその光景が脳裏に焼きついています。

「三つ子の魂百まで」と言いますが、私が今描いている山の絵は、その小さい時に見た「幻の雲海」の印象を追っているのだと思います。

山を友として

私が物心ついた頃からの記憶は、山や野を走り回り川で泳いで魚を捕ったり釣ったりして朝から晩まで遊んだことしかありません。春は山菜採り、つくしやセリ、ゼンマイやわらび、野イチゴ、特につくしは美味で、味噌で煮込むと最高でした。夏から秋にかけては裏庭に柿の木が3本あり、いつも木に登っては、おやつ代わりに食べていました。苗を植えたプラムの木も大きくなり実をつけるようになると、これまたよしとばかりによく食べました。そうそう、イチジクの木もありました。その甘味は今でも舌の記憶に残っています。秋は祖父が山を所有していたので、松茸を採りに行きました。十センチくらいある傘の松茸を醤油であぶり一人で食べました。いやー、今ではあり得ない本当に贅沢な話です。また裏山で、でっかいあけびを採りその種を吹き合っていました。

田んぼも祖父が所有して、田植えや稲刈りを手伝いました。鎌で指を深く切った記憶が蘇ってきます。小学5年生頃、積み上げられた稲の藁をマットにして練習しバック転ができるようになりました。そんなこともあり、中・高と器械体操部で頑張りました。何と、今でもロンダード(側転ひねり)からのバック転ができます。(嘘ではありません、本当です!)

小さい頃、遊んだ思い出は誰に教わるのではなく、当時はガキ大将の親分が中心になり、先輩から引き継いだものや新たに楽しい遊びを考案していました。ビー玉を使ったり、五寸釘を打ち陣地を取り合ったり、竹で鉄砲や本格的な弓矢を作り、矢の先に二B弾(火薬)を付けて戦争ごっこもやりました。今、子供たちは大人からおもちゃを買ってもらっていますが、その当時は皆自分たちで作りました。空気銃などは高価なもので、子供が買えるものではありませんでした。よくてバネで飛ばす「銀玉鉄砲」で打ち合いをしました。唯一親に買ってもらった物は「プラモデル」です。私は本当に大好きで、何故か、戦車やゼロ戦、戦艦大和など、軍事関係の物を好んで作っていました。

子供は本当に「遊びの天才」です!

一番記憶に鮮明に残っているのは、夏休み、六時三十分になるとラジオ体操が始まります。その一時間くらい前、いつもの遊び仲間で裏山の神社に行き、蝉の幼虫が孵化するところを見に行きました。毎日一体か二体は見ることができました。幼虫の背中が割れて姿を現すその様は実に興味深いものです。またその色はこの世のものとは思えない限りなく透明に近い乳白色で、感動以外の何物もありません。私たちは蝉が孵化して飛びたつまで、ずーーっと観るのが楽しみでした。中には羽がぴんと張らず、飛べないものもいました。

その後、時間がある時は近所の材木屋へ行きました。オガクズの中に産み付けられたカブトムシやクワガタの卵が成虫なるのがこの時期で本当にたくさん捕獲しました。 

川を友として

その当時、川はまだきれいで、ナマズ、ウナギ、フナ、鯉など何でも捕ることができました。私の一番の勲章は、素手でウナギを捕獲したことです。たまたま手を入れた岩の中から出て来て、飛びかかって押さえ込みました。そのウナギさんも母に料理してもらいお腹の中に入りました。

バッテリーから電流を川に流し、魚を感電させて、浮いて来る魚を捕ることもやっていました。一度不覚にも自分の足が川につかっているのを忘れて電流を流したことがあります。ご想像の通りで私も魚と同じ餌食になりました。「ビックリしたモー!」です。

また、夏の夜は、寝ている魚をすくいに行きました。明るく結構長持ちする「カーバイトライト(炭化石灰岩に水をかけるとガスを発生させ火がつく)を使い、いっぱい捕りました。寝込みを襲うなんて、魚さんには本当に申し訳ないことをした、と今となっては懺悔です。

皆さんは、「川ニラ」をご存じですか?三pくらいの淡水に棲む巻貝で、これがまた美味です。よく捕りに行き、父のお酒のツマミになりとても喜ばれました。

魚釣りは、ウジ虫やクリ虫やミミズを餌にしてハヤやフナなどたくさん釣りました。中でも鯉釣りは、特性の団子を作りそれを餌にしてリールで釣ります。朝3時頃、友達と自転車で出かけ、三十〜五十pくらいのものを釣り上げます。五十p級になると鯉の力も半端ではなく上げるのに三十分くらいは格闘し、釣り上げた喜びは感動として、今でもその時の記憶が蘇って来ます。

また一本の糸に毛針を何本もつけ川の流れに沿って流し、手の感覚で当たりをとりハヤを釣りました。これは結構テクニックが必要ですが、慣れると夕方の二時間くらいで何十匹も釣れました。母は、いつも私が捕って来た食材を上手に料理してくれ、ハヤは唐揚、フナは煮つけ、鯉は鯉こく(味噌汁)とあらいが最高でした。

子供の頃の記憶はどれもこれも宝石の如く光輝いています。子供だからできたと言われればそうかもしれませんが、大人になっても心が子供に帰れば、もう一度「ワクワク、ドキドキ」の楽しい日々を送ることができます。 

我々は文明の力にあやかり、便利さや人工的な環境に慣れ、「本来、自然の生き物である人間」を忘れていませんか? 

社会の中で生きるために作ったルールや慣習は、人間を小さなモノにしていませんか?

「あれはしてはいけない、これもしてはいけない、これは恥ずかしいことだ」などと言われ、いつの間にか心の自由を奪われ息苦しいまでの日々を送っていませんか? 

私はもう一度、子供の頃の感動の日々を取り戻したい!

自分を縛っている一切のとらわれを放ち、心を真っ白にして「自然と共に生きる」、これこそが私の未来への決意です。


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