無為の生き方 U
世界人類が平和でありますように

 章 生い立ち
 
   ― 山と川を友として ―

 五井先生がご神帰されて

五井先生ご在世当時 (斉藤秀雄長老とのご縁)

東京の美術大学に合格したその年、千葉県市川市にある白光真宏会本部の門をくぐります。今でもその時の光景は鮮明に覚えています。JR市川の駅からバスに乗り栗原のバス停を降りると、雰囲気のよいご婦人が先を急がれていたので、直感的にその方の後について行くと、案の定、聖ヶ丘道場に到着できました。

その日から何かに押されるように、毎週ほとんど休むことなく日曜日の統一会に通うことになります。すぐに「青年部」に入り普及活動に邁進します。錬成会にもほとんど毎回参加しました。白光会館(宿泊所・朝食付)に泊まり、朝早く起きて「暁の祈り」に励みました。日の出前の凛とした空気の中、本部道場でのお祈りは最高でした。

美大生の時、私の予備校時代の先生を通して、肖像画を描く依頼を受け、その方の邸宅を訪問すると、何と「世界人類が平和でありますように」の色紙額が飾ってあり、その方は斉藤秀雄長老の集会を開いている熱心は会員さんでした。そんなご縁で、毎月一回、斉藤先生の集会に参加することになりました。

その集会所で初めて斉藤先生の個人指導を受けた時、開口一番、「あなたの人相には『狂乱の相』が出ている」と言われました。浪人時代眉間に眉を寄せアル中一歩寸前だったことを考えると、その通りでしょう。でも、もう少し良いことを言っていただけると期待していましたのでちょっとびっくりしました!しかし、「五井先生につながり世界平和の祈りを祈るようになったから大丈夫だ!祈って想いが空っぽになれば、救世の大光明で働かれている芸術の神様はたくさんいらっしゃるので、その神々があなたの器を使うようになるよ」とおっしゃっていただきました。斉藤先生は、五井先生と一体になられた第一号だと聞いています。今まで斉藤先生は絵を描いたことはなかったにも係らず、五井先生と一体になり肉体の想いが空っぽになられて、あの「雪舟」と西洋の宗教絵画の天才である「フラ・アンジェリコ」が仏画を描かせているとのことでした。そのコピーをいただきましたが、本当に「スゴイ!」の言葉しかでてきません。また直筆の書をいただいていますが、まさに自由無碍なる筆跡です。

また、斉藤先生は霊能者でもありましたが、この能力は、稀有の霊能者であられた村田正雄長老とバランスが取れるように、斉藤先生自らが五井先生に直談判され願いを入れてもらったとおっしゃっていました。斉藤先生のお話は本当におもしろく、電車の中で突然「テレポーテーション」したことや宝石が物質化したこと、宇宙天使や神々との交流の様子等、今でも記憶に残っています。しかし、斉藤先生がこのようになられたのは、霊能力を求めたからではなく、ただひたすら「五井先生」を呼び続け五井先生に全託されたからです。

五井先生ご在世当時 (青年部での活動)

青年部の活動の思い出は、尽きることがありません。毎週、統一会の後、皆で一緒に食事をとり、その後奉仕活動や普及活動に励みました。夏休みには、毎年、地方に普及活動に出かけ、南は九州・宮崎から北は北海道・札幌まで、神戸・広島・四国に至るまで本当によくやりました。「世界平和の祈り」のピースポールの建立やポスター貼り、普及用の祈りの新聞配布、平和行進等、仲間と一緒に活動することが無上の喜びでした。その頃一緒に活動した仲間は、皆、白光真宏会の理事や幹部になり会の発展に大いに貢献された方々です。

五井先生ご帰神

五井先生は、三十才後半から地球の歴的な業を引き寄せ浄められ体をお悪くされていました。私が統一会に通っていた頃は、痰を吐くために咳がひどく、それが足にきて歩けない状態でした。お体の状態が悪い時もいつもニコニコされていたのが印象に残っています。

五井先生は、ご法話で「業を浄めるために体を悪くしているが、必ず元気になって世界中を回るから、八十才までは絶対大丈夫だから!」とおっしゃっていました。ところが、晴天の霹靂、六十三才というお年での突然の訃報に出る言葉もありませんでした。

その当時、五井先生の訃報を知り、すべて大神様のみ心で、後は養女の昌美先生が何の問題もなく引き継いでいかれるだろうと楽観していました。案の定、次から次へと新しい企画やご神示を降ろされ、WPPM・五井平和財団の設立、CWLPフェローの発足、印の伝授、神人養成プロジェクト(マンダラ)等、皆何の疑念を挟まず二代目会長を信じてついていきました。私自身は、マンダラを書き上げ「神人証」なるものまでいただきました。

ところが、二〇〇二年、偶然にもインターネットの検索で「世界平和の祈り」だけを行っている「唯一会」という団体があることを知りました。そこでは「五井先生の教えの行法は、世界平和の祈りを祈ることであり、世界平和の祈り以外に行う行法は必要ない」ということを説かれていました。それは五井先生ご帰神後行ってきた大半を否定されたことになり受け入れガタイ衝撃でした。

しかし、私は直感的に「世界平和の祈り唯一行」は正しいと判断し、長年一緒に活動して来た祈りの同志と離れるのは辛いものはありましたが、当時の理事長に手紙を出し、退会を申し出ました。約二十五年間、本当にお世話になりました。

それから、約六年間、「唯一会」で活動しますが、私がネットで書いた文章が唯一会会長の文章の著作権を侵害しているとお叱りを受け退会させられました。しかし、唯一会で学んだ五井先生の教えは、ゆるぎない信念として、この時に養ったもので本当に心から感謝しています。

その後、これからどうしたものか・・・?思っていた時、これまたインターネットの検索で、「世界平和の祈り」だけを行っている大阪に本部がある「コスモス会」を知り、早速、東京集会に参加し、以後三年間お世話になりました。尾崎玄海先生は書や生け花をたしなまれ、とっても気さくな方でした。

私は、五井先生亡き後、その後継者を探し求めて来たわけですが、皆さん「世界平和の祈り」を祈り、それぞれ一生懸命やっていらっしゃるわけですが、やはり、教える人に「我」がある以上、教え方が「自己流」になってしまうことは起こり得ることです。

我道を行く

私はある日、「人に頼るのはやめよう!」という思いが強く湧いて来ました。五井先生以外の師を求めるのをやめ、五井先生と自分の間に人を介さず自分がダイレクトに五井先生と一つになることを決意しました。

以後、GWPP(五井・ワールド・ピース・プレーヤー)「祈りの会」をネットで呼びかけ発足させ約四年間月一回のペースで行いました。常連のメンバーは最大五人くらいで、五井先生がご在世当時行っておられた「統一会」の形式で会を進めました。

そのメンバーは他界されたり、体調を崩されたり、一人また一人と減り、実質的に活動メンバーが私一人になり、現在は「祈りの会」は休止し、ブログで情報を発信しているのみになりました。 

これからは、山梨県北杜市白州町にセルフビルドでログハウスを建て、その場を拠点にして「祈りの会」を発足させたい。自然の中で「世界平和の祈り」を祈り、祈りを深めたいと考えています!

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